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実績

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実績

「Green」での活動
      ↓
 2021年9月、ステロイドの副作用により新たに血管障碍を負ってしまい(←その他にも小さいのを入れると10カ所ぐらい壊れているが治療が上手くいかず)、身体の切断も覚悟をしたが、就労担当の人と相談し、

「何か目標を持って日常を送りなさい」との御助言の下と、
偶々その前後に、施設で無垢な障碍者の方が「何か良いチラシは無いかなー」って独り言を呟きながら、チラシを探している姿がなんとなく遠くから目に入ってきて、”この子達の為に出版物を作れたらいいだろうなー”ってボンヤリとだが考えていた事もあって、やはり私には出版やメディアしか無い!と、障碍者の為のリーフレット「Green」を製作する活動を始めると、
(障碍・健常の枠を超え)段々と協力をして下さる仲間が集まってきて下さった。

 9月に痛みに苦しみながら作成を始め、令和3年11月19日に第1号を完成させ「障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)」へ月8部置いて頂く事を皮切りに、

「あいはーと・みなと」へ月5部づつ。

「みなと社会福祉協議会」へ月5部づつ。

三田にあるコミュニティハウス「芝の家」へ月5部づつ。
(他の施設の利用者さんに訊いて取材のつもりで行ったのだが、血管障害だけれど数キロの腐葉土を運び泥だらけになりながら頑張った、子供達が石を運んでいるのに自身だけがやらない訳にはいかない)

増上寺障害者アート展で監修を務められたNPO法人「虹色の風」さんからお教え頂いた、南麻布の児童相談所「港区家庭子供相談センター」へ月5部づつ置いて頂く。

9月から始め、5月までに5カ所へ置いて頂けた。

因みに第2号は「障碍者の為の情報紙ならばフォントを大きくした方がいい」という就労担当の方のご助言のもと雛形から全て作り直し、
媒体は当初から30部の予定だったが(雛形が違う1号目以外)各号とも
現在60部以上は重版を重ねている。

 7月にGreen4号で【パラスポーツ特集】としてボッチャをメインに記事を書き、飯田橋の「障害者スポーツ協会」へ5部置いて頂けた。

(「みんなでボッチャをすると楽しい!!」と広まれば少しでも『理解』へ繋がるかなと)


「(各施設で)イベント開催(と参加)

 2022年初めに1年前から障害保健福祉センターへ提案をしていた
「ラジカセ1個の音楽会」を開催して頂く。
(後に職員さんがアレンジをし「語る会」のカタチへ進化)

その後、あいはーと・みなとさんで3~4ヶ月間ぐらいの間に7回「ラジカセ1個の音楽会を開催」。

(あいはーと・みなとさんの場合は↑↓もうラジカセじゃないから!!

「ラジカセ1個の音楽会」のマニュアルを作り、機材をまだ扱えない新しい職員さん・利用者さんのそれぞれが自由に・「自主的に」機材を扱えるよう機材の操作方法のマニュアルと、障碍者福祉センターで1回&あいはーとで6回開催し、7回目以降からは主催の私達側が徐々に身を引き→その後、20回以上自主的に開催をして頂いた意外に早く自主的開催をして下さるまでして頂けた事は、やはり精神障碍者の方は優秀だなと・・・

会を重ねる度に見付かるノウハウを記したレジュメ注意事項を作成。
その資料をあいはーとの施設側利用者側へ譲渡

あいはーとでの経験を他施設へ「資料を別の施設用に改編して渡し」更に「還元」)

※みんなの中で〇〇さんしか開催出来ない「会」や「仕事」なんて要らない
(=王様なんて要らない!!)

 2022年6月にボッチャの企画を「あいはーと・みなとさん」へ持ち込み、職員の方が「東京都障害者スポーツ協会」からボールを借りて下さり3回開催

その3回の内1回は、あいはーとの「ボッチャ実績写真」の撮影日としてご利用頂く。

紹介後、継続をして下さった方と職員さんのご尽力で「あいはーと」さんがボッチャのボール一式を購入下さって、その後も継続をして下さっているとの事(これが、
「理解」へ繋がれば・・・)。

(買い立てのボールって硬い・・・以前尊敬をする障碍者の方が「ボッチャのボールってメンテナンスも必要なんだよ」と言われていた意味が解かった!!)
 ↓
 ※11月26日(土)、ボッチャを施設へ紹介した手前と、「(ボッチャは)誰かと面と向かって対戦をしないから好き!!」
と仰って頂けた真面目な若者がボッチャに興味を持って下さったので、『みなと社協さん』主催の下スポーツセンターで行われた「ボッチャ大会」へチームで参加。


※「令和4年10月8日・9日イベントに出展」

団体「Green」として、「みなと区民祭り」へ出展!!
(うちのブース!)

様々な障碍を負われた方々がお手伝い頂き、
・手作りの作品を展示
・障碍への理解・啓蒙の普及活動を主旨に
150部のリーフレットを配布。
・トランプで遊んだり、百人一首で区民祭り来場者の方々との交流。

昨年9月から負った、この副作用の状況の痛みの中、ここまでこられたのは本当に多くの方のお陰だし、
ある方に「物販をせずに来場者を楽しませられたのは素晴らしい事だと思う」と仰って頂けた事を皮切りに、その後も同じ事を多くの方々が仰って下さった。
又、安全第一で手伝って下さった方や来場者が誰も怪我をせず、皆の気持が1つになった事。
代表としての心構えと体調の整え方、その他区民祭りから本当に実施で様々な事を皆で学ぶ事が出来た事は私達全員の財産。
今回、学んだ事を世の中へ還元していきたい


 「サロンを開催」
※障碍者の方の手作りの作品を飾り付け、
令和4年9月23日。
自宅1Fを使ったサロンの第1回目開催で話し合う。
持ち寄ったお菓子や田舎から送って頂いた果物の他、
B型作業所
アクティさんのお菓子
工房ラピールさんのお菓子
工房ローズマリーの珈琲

令和4年10月28日。
※区民祭りの慰労会と皆のチームワークを固める事を兼ね、
自宅1Fを使ったサロンの第2回目開催
秋だったので「秋刀魚祭り」で1人300円の予算。
(飲み物は薬や持病の関係があるので「三〇矢サイダー」の他は、各自・持参)
B型作業所
アクティさんのお菓子
工房ローズマリーの珈琲は秋刀魚を焼く事や料理に忙し過ぎて出すのを忘れた為、後日1人人にお礼を言いながら渡して回る。

御参加下さった方・様々な諸事情で当日御参加出来なかった方(それでも区民祭りの時に、お声を掛けて下さった方)、多くの仲間に感謝。
☆来場順に、
区民祭りと反省会、団体の在り方。
賑やかしの部
残った人々で個々の未来について、
3部構成で良い話し合いが出来た。


「HPで取材活動」

IGS-Report時代のHPの背景が偶々、緑色だったので、表題をGreenに変えて頂き、その後HP制作の経営をされている昔のお客様に泊まり掛けでHTMLの初歩の初歩を教えて頂き自身で「Topics」の部分を変更出来る様にし、様々な施設や障碍者関連・アート関連・世の中の為になりそうと感じた事や癒される事等を取材し記事にしている。

(取材をしている事はIGS-Report時代とほぼ変わらないが、取材対象に障碍や福祉が明確に加わり社会貢献活動の取材対象が拡がった


「団体認可申請と、居場所作り」

Greenのリーフレット活動と並行をし、令和3年から居場所作りの為、障害保健福祉センター・みなと社協・家族・利用者の方々の助言を訊きながら、団体や居場所(サロン)の規則や会則・決まり事をコツコツと作ってきた。

※規約が完成をしたので、今度は令和4年の12月ぐらいから、本格的に会則を見せながら、会員集めを始め、
令和5年4月13日からセンターの審査後→区に申請手続きをし、令和5年4月24日認可の書類が下り(5月9日にセンターから申請許可の連絡)
これで晴れて正式な行政の認可団体として登録。


6月10日(土)、障害保健福祉センターの「竹芝小記念ホール」を午後から借りて、休日の障碍者の居場所を作成。
前日(金曜)センターのカルタ大会を数ヶ月かけ、職員と練りに練ってきたサロンを手伝った為、
 
・かなり疲弊をしていた事と
・気圧の関係で冒頭の血管障碍に影響し、この週は睡眠が極度に足りなく、ボロボロだったが、
 居場所作りが出来て「今まで休日にこんな居場所に居られた事なんてなかった、良かったね〜」とヘルパーさんが身体が不自由な障碍のある子に話かけているのを観て多分、時代とか、世の中が必要としていたから、ここまで、センターの人々は勿論他の施設や、コミュニティハウスの人達、行政も含め、皆で出来たのだろうなーって。
やって良かったんだ。

私も体調やスケジュールを管理・改善し、
副作用と闘いながら、
オペで負荷が掛かった消化器を少しでも回復させ、
居場所作りも、(私の身体の事情もあるので)毎週は出来ないが、ここからもっと改善しまくって、もっと自由で、更に平和でユルいけど、シメる所はシメる、安全第一の場所を多くの人と作りたいと考えるに至った。





「IGS-Report『時代』の活動」

      

2011年11月18日に取材して来た事をタブロイド新聞にし、
10,000部発行。

(9,900部を折り込み・100部は自分の足で配り反応をみる)

印刷や様々な経費がかかります。この時、ボランティアだったので持ち出し。

折り込み証明書。
 
世の出版に携わる方々や経営者の方々がどれだけのモノを背負っているのか?実際に自身でやってみて出版社に属していた頃より、更に(「僅か」かもしれませんが社会勉強になりました。
己の名前を出して発行をする、記事を書く、中々のプレッシャーでした。自分の弱点と向き合わなければならかったり、
「割り付け」とか、メディアの「意義」やイデオロギー、読み手が感じる文字の意味する所と表現、普通ならどうでもいいじゃないか!!!という場所が気になって仕方がなかったものです。
(出版社の時に記者や営業に特化し過ぎ、そういう部分をおざなりにしてきたツケが一気にきた「感じ」です、かといって全力で生きていた「あの頃」を否定するツモリもありませんが、社会の中で身を持って「実体験」で学ぶ事が出来た事は比較的多くの事が残りました。
  
振込明細も。
   
学ぶ機会を与えて下さった事を・・・、
・協力をして下さった編集者の方々
・出版社の頃にお会いした方々
・今まで出会った方々
へ感謝です。
 
 平成21年12月25日、私達の自己満足ですが、世の中を良くしたいと思う方と児童養護施設へお菓子を持っていきました。
  
肉体労働もさせて頂いたのですが、その方が言うには、
「晩秋に、青空の下、何かしら少しでも役に立てるカタチで普段出来ない身体を使う事が出来てよかったよ・・・何より清々しいじゃないか!!、こうやって額に汗をかくのも」と。
(私も全くの同感でした)
決っして、あの言葉は忘れません。


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